Aliseo Japanのサービスに関する変更およびニュース
「ニュース&ストーリー」
に関する目次
2007年4月 - Aliseo Japan10年の歩み
10年前のまだ寒さ残る早春、それまでイタリアで積み上げた仕事のデータが詰まった1台のコンピューターを抱えて日本に降り立ちました。新しいオフィスの立ち上げに必要なPC、ファックス、モニター、モデムなどを揃えるために取るものも取りあえずまず向かったのが秋葉原。こうして日本で最初の拠点となった渋谷富ヶ谷のオフィスをスタートさせました。
1997年といえばちょうどインターネット時代の先駆けで、まだ日本では登録サイト数も少なく、主要検索サーチエンジン(当時はまだYahooぐらいしか知られておらず、Googleはまだスタートしたばかりでほとんど知られていませんでした)で、イタリア語翻訳のキーワードで検索すると我々のサイトwww.aliseo.comは常にトップランキングを保っていました(いい時代でした。。。)。こうしてAliseo Japanの日本でのビジネスはインターネットの普及に助けられ急成長したのです。その後、都心の喧騒に疲れた我々は海風の吹く横浜へと拠点を移し、落ち着いた佇まいの妙蓮寺、みなとみらいの夜景の美しいポートサイド地区と変遷していきました。
その間に、イタリアから抱えてきた1台のコンピューターで始めたオフィスには、ネットワークでつながれた6台のコンピューターが並び、日々刷新されるソフトを次々と詰め込んでフル稼働していきます。
そして4年前に、都会の海風に飽き足らず、海や山をもっと近くに感じられるここ伊豆高原に住まいとオフィスと構えました。こうして今年2007年、おかげさまでAliseo Japanは10年の節目を迎えました。今まで支えて下さった多くの方々へ感謝しつつ、また新たな気持ちでスタートしたいと思っています。
2008年3月 - 伊豆高原ページ開設
Aliseo Japanは2004年に横浜から伊豆高原に活動拠点を移しました。海あり、山あり、温泉ありの癒しの楽園、伊豆高原。こんなところでイタリア語翻訳をしていますということで、簡単な伊豆高原紹介ページを開設してみました。喧騒を離れ、緑にかこまれた静かな環境は、まさに翻訳者にとってのパラダイス。さらに首都圏にも日帰り圏なのでイタリア語通訳出張も可能です。イタリアのリグーリアに景観が似ているこの場所で日夜イタリア語翻訳と格闘しています。
2008年8月 - 新取引条件について
今までは日本での翻訳会社が多く採用している訳し上げページ数換算(ターゲット言語)で日本語400字またはイタリア語、英語200ワードを1ページとしてきましたが、海外からの問合せでは、原稿ベース(ソース言語)の1文字または1ワードの料金体系提示を求められることが増えてきていることから、Aliseo Japanでも国際標準料金体系で統一を図ることとしました。翻訳終了まで正確な料金がわからない従来の料金体系に比べ、原稿1文字/1ワードの新料金体系なら見積り段階で確定料金を算定することが可能です。
しかし原稿がデータベースで入手できない場合は、ソース言語の正確な文字カウントが難しいため、ターゲット言語でのカウントとなります。詳細は一般向け翻訳基本料金ページでご確認下さい。
2009年1月 - サイトを改訂しました
2009年1日1日から、www.aliseo.comのサイトが新しくなりました。スタイルシート(CSS)を使用することで、さらに見やすく全体に統一感を出しています。また、新たな情報ボックスも追加し、関連のページにリンクさせています(現在制作中のページもあります)。それらの中には、翻訳会社向け、通訳会社向け、一般企業向けのページを設け、翻訳、通訳などのサービス詳細を紹介しています。
2010年4月 - 伊豆高原から熱海へ移転
2010年4月に静岡県伊東市の伊豆高原から、熱海へと移転しました。同じ県内で距離にして40km程度の移動ですが、新幹線へのアクセスもさらに便利になり、東京までの移動時間が1時間ほど短縮でき、日帰り通訳も十分できる距離になりました。
2014年5月 - モバイル版サイト
インターネットの使用スタイルも時代とともに変化しています。最近の統計では、スマートフォンやタブレットなどのモバイルでインターネットにアクセスする割合が30%にまで伸び、今までの大きくて場所を取るデスクトップはもちろん、ラップトップでさえその使用率は低下の一途です。そして今後数年で、モバイルは、インターネット閲覧のメインデバイスになっていくと予測されています。そこで我々のサイトもその流れを受け、スマートフォンやタブレットで閲覧しやすいように改訂いたしました。
2017年2月 – 来日20年
1997年2月27日、ビジネスクラスのフライトに興奮冷めやらぬ二人は、希望に胸ふくらませ成田空港に到着しました。エコノミーでの予約でしたが、日本移住を決め、多くの荷物を抱えた二人を応援してくれるかのように、マルペンサ空港のJAL上級職員が我々をビジネスへと移してくれたのでした。もちろん様々な好条件が偶然揃って可能となったことなのでしょうが、新天地へと旅立つ者達としては、幸先良いスタートとなったことは言うまでもなく、忘れがたい思い出です。 そしてその幸先良いスタートのおかげか、この20年間はとても恵まれたものでした。
来日20年を口にすると、日本の友人には、「長かったですか、短かったですか」と良く聞かれます。その期間が充実したものであったかどうかを知るための間接的な問いかけです。今振り返れば、本当に飛ぶように過ぎて行った20年間でした。当時はまだインターネットビジネスが普及し始めたばかりで、独自サイトを開設している翻訳者も少なく、すぐに仕事は軌道に乗りました。今でこそ、ネット検索で百花繚乱の翻訳会社サイトや翻訳者ディレクトリの中から、日本全国どこにいても、希望の言語や能力を有する翻訳者や通訳者を探し出すことが可能となっていますが、当時は数少ないイタリア語翻訳者として、運よく顧客をつかむことができました。
20年前の来日直後から今なお継続的にお仕事をさせていただいているクライアントも少なくありません。これまでどれほどのワード数、文字数を訳してきたのでしょうか?どれほどのお客様にお会いしたでしょうか?ひとつひとつの経験がすべて積み重なっての「今」です。
この20年間で、翻訳ビジネスの世界は確実に変化しました。インターネットの普及やグローバリゼーションにより、世界は益々狭まり、競合が世界中から市場に参入し、翻訳会社の数はひと昔の何倍にも膨れ上がっています。中には、翻訳の「いろは」も理解せず、ただ開業資金も少なく容易に始められるからという理由による「翻訳会社」さえ出てきています。こうして近年、品質を度外視した価格競争に翻弄されるようになってきたのは、この業界も例外ではありません。日本とイタリアの距離もあらゆる意味で近くなり、双方の共通言語として英語をコミュニケーション媒体とするのが主流となってきているのも事実です。ビジネスの核となる部分への投資を重視し、コミュニケーション、つまり翻訳や通訳にかかる費用は、できる限り削減したいというのが経営者の共通した考えのようでもあります。
10年ほど前に自動翻訳ソフトの開発が始まったころ、数年後には我々の仕事は自動翻訳にすべて取って代わられるのではないかという危惧を、我々を含め多くの翻訳業者が持ちました。確かにその精度は年々上がってきてはいるものの、ことイタリア語と日本語の組合せに関して言えば、まだまだ仕事を失うことはなさそうだなというレベルで、翻訳者としては楽観視しています。
さて、次は2027年を目指していくことになりますが(10年後にまだこの世に/が存在しているかも、どこにいるかも、確かなことは何一つありませんが)、二人とも寄る年波には抗えず、体力、気力、そして視力の衰えを受入れながら、あまり無理をせずに歩んでいきたいと思っています。そして、20年間走り続けてきたご褒美に、この国をもう少し巡り歩く機会も持ちたい、というのが今のささやかな願いでもあります。
2017年3月 – サイトを改訂しました
20年の節目にサイトも改訂することにいたしました。この分野のテクノロジーは常に進化しており、現在一般的になってきているHTML5により、さらに複雑で効率的なインターネットサイト制作が可能となりました。旧サイトにも少し飽きがきていましたので、イメージや構成も一新してみました!